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酒道ニュース

2011年7月

勝山(宮城酒蔵訪問⑤)

仙台空港はまだ、ゲートがひとつしか利用できず、トイレも仮設、仙台市内とを結ぶ、JR線も不通。

空港の周囲は被災の激しさを物語っていました。車はあちこちに放置されていて、あるいは山のように積み上げられていました。ゴミもあちらこちらに集められて異様な光景でした。

さて、初日(7/3)の訪問先は、勝山酒造。経営者の伊澤治平さん自ら、車でお迎えに来ていただきました。車は高速道を走りぬけ、山間部ののどかな田園地帯へ、蔵は仙台市の北部、岩手県に近い、山すそにありました。良質な水を生み出す「泉山」のふもとだそうです。

勝山酒造は伝統の酒造りをやめ、「雑味」をとるという、全く新しい概念の日本酒に挑戦し、成功を収めつつあるのです。

彼は、パリ留学時代、ワインをきわめて、そこからヒントを得たといいます。

香道にも入門した。

ステンレス製の道具を使い、雑菌を除き、さらに遠心分離機を導入し純度をたかめました。この製法のため、300年以上続いた伝統の酒蔵の利用をやめたのです。

勝山酒造直営の勝山閣で夕食の接待を受けルことになり、思わぬ展開に一同、驚かされました。

宴会の冒頭、「どうしましょうか、勝負は」「きょうはそちらの流儀で」と家元は挑戦をかわしました。当方、「酒道みやこ流」を名乗ったところでしたから。伊澤さんは、「酒モダン流」称しておられるのです。

宴会は「酒モダン」の展開でした。

彼は、料理人に負けない酒はと考えたそうです。酒の頂点は「酒中酒」ですが、更に極めて、酒を中心にして、料理を楽しむのです。

①しょうゆに酒を少し混ぜると、刺身が生きてくる。

②しょうゆのかわりに酒を入れて、そこに刺身を付けて食べる。

このやり方で、しょうゆだけと、またワインとの比較をして、味わう。

すると、言われているように、味わいが切れずに続くのです。大発見でした。

しょうゆは、味の感覚を切ってしまう。ワインも。

ワインは、ワインの味わいでとどまり、料理とは別個だと。

勝山の酒、「元」「ダイモ睦」などは、料理と酒とが絡み合う。

なぜか、「日本酒を飲むと、舌の旨味が敏感になる」(伊澤さん)

しょうゆは自己主張しすぎる。

ワインはPHが2、3で、味らいのレセプターが機能しない。

なぜなら、唾液がPH4で、酒は唾液になじむのです。

「口のなかが最後の調理器」(伊澤さん)

家元はじめ一同、感心して聞きほれていました。

勝山は全日空に採用されて、日本酒が世界の酒として声望を高める巨歩に。

立派な方でした。日本酒の新しい道です。

京都へ帰ると、一番に版画家の木田先生を訪ねましたら、なんと、よくご存知で、「彼の結婚式に確か、京都からはたしか一人、俺が出た」と。伊澤さん、なかなか、有名人、京都もたいへんお好きなようです。

伊澤さんをお呼びして、酒みやこ流とのコラボレーション、秋には企画しなければなりません。

 

 

 

日高見(宮城酒蔵訪問④)

二日目(7/4)の二番目に、石巻の「日高見」訪問。

室、麹部屋を見学。

もろみが1m飛び上がって、壁に衝突。

被災で、300本が壊れた、冷蔵庫のドアが開いたたため。敷地の半分は泡であふれた。

鳥小屋みたいなにおいを、1ヵ月後、ガスが通じて洗った。大阪ガスからの応援だった。

電気は10日後に通じた。

このあと、すみのえさんを訪問し、そのあと、テレビでしばしば写された「がんばろう、石巻」の大きな看板のある被災地を訪ねました。

見渡す限り、全く人の気配のない荒涼とした光景でした。空襲のあとのようですが、違うのは生活の断片がそのまま、残されていることです。空襲なら、焼け落ちて、黒色にぬりかえられるでしょう。しかし、石巻のここでは、被災前の生活の雰囲気が残されているのです。言うなら、生身のまま、解体された状況なのです。

現地に立ちながら、身振いしました。供えられていた花に、ひざまづいて、合掌しました。

交通整理の警察官は他府県からの応援でした。

 

乾坤一(宮城蔵元訪問③)

二日目(7/4)は、乾坤一の主、大沼さんがホテルまで、車で迎えに来ていただき、まず乾坤一を訪ねて、そのあと、「すみのえ」「日高見」など、宮城県を南へ、東へとめぐりました。お世話になりました。本当にありがとうございました。

さて、乾坤一の蔵元は、仙台藩の通商ルートだった、日本海の港町、酒田につながる旧街道に面して建っていました。旧街道は「紅花」を出荷し、帰りは都の人形などを仕入れてきた由。紅花は、おしろい、貝合わせなどの染料として、珍重された。

玄関には「上ものはく」との年代を感じさせる看板。「ものはく」とはどぶろく、「上」とは現代の清酒。

水、米、南部杜氏の作品。

「乾坤一は祇園、木屋町で今、一番伸びている」(家元)。「焼き鳥、てんぷらに会う、口をあらう」

辛口、酸味。

-5度で熟成をとめる。酸度5.秋口にとろっとしてくる。

震災で、蔵が傷み、酒庫が倒れ、屋根が崩れるなどの被害。なんとか補修して乗り切れそう。

被害箇所の説明を受けながら、痛々しく感じられました。

1000石までの小さな蔵、セールス担当者を雇えない、競争に買っていかなければならないしと、経営の難しさを語っておられました。

朝から夜の帳が下りるまで、長距離を、雨のふるなか、大沼さん、ありがとう。

8月例会と東北復興企画のご案内

次回例会は、勝手ながら、8月5日(金曜日)午後7時半からに変更させていただきます。いつもの水曜日と違いますので、ご注意下さい。

ご了承のほど、お願い致します。

それから、東北復興をテーマにして、10月7日(金曜日)午後7時から、「乾坤一」「森民酒造本家」をお招きして、宮城の名酒を楽しむ会を企画しておりますので、その打合せをかねての、2ヶ月ぶりの例会です。

ご都合を付けていただき、皆様がぜひとも、ご参加いただきますよう、お願い申し上げます。

8月例会

日時:8月5日(金曜日)午後7時半から

場所:彌光庵

テーマ:東北の名酒を楽しむ

東北復興の企画

日時:10月7日(金曜日)午後7時から

場所:京都ガーデンパレスホテル

テ-マ:宮城の名酒

ゲスト:乾坤一の蔵元、森民酒造本家

会費:8千円程度の予定

                   2011.7.17

                         酒道みやこ流

                              事務局長 天野博

 

すみのえ(宮城酒蔵訪問②)

7月4日午後、東日本大震災の被災地、石巻にある「墨廼江(すみのえ)」を訪問し、家元、滝本さんが「すみのえ」フアンの料理屋さんたちから預かったお見舞金を渡しました。

その日は、波が映画のシーンのように押し寄せてきた。コンテナを上に上げて、間一髪。

70センチから80センチ、地盤沈下。

和窯、レンガは無事。100年はたつ仕込み倉も無事。

被災後、全国の自治体(消防署など)、企業(大阪ガスなど)が来援し、復旧作業。

今は父の代の3分の一。700石。

住居地域で、改修しかできない。蔵は石造り。大谷石の一種。丈夫で軽い。においを吸う。

土蔵よりよい。

お米は好適米を全国からしいれ。酵母は宮城県。

石巻は港町。「すみのえ」は航海の神様、住吉神社の系列か。

伝統の名「春陽墨廼江」の看板を背に、社長さんと一行とともに記念撮影し辞去。

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